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#1 メルカリはなぜ、急成長を遂げられたのか? 共同創業者に聞く、創業秘話と成長の裏側

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#1 メルカリはなぜ、急成長を遂げられたのか? 共同創業者に聞く、創業秘話と成長の裏側

📕Summary

「スタートアップ オフレコ対談」は、ベンチャーキャピタル・XTech Venturesの代表手嶋とゲストの方をお呼びして対談する番組です。

そんな記念すべき初回のゲストとして、メルカリの共同創業者の富島さん、石塚亮さんにお越しいただき、1話目は事業の手応えを感じた瞬間やCM大成功の裏側についてお話しいただいております。

ぜひPodcastの方もお聞きください!!!

🔊Speaker

・手嶋 浩己
Xアカウント [@tessy11]
XTech Ventures 代表パートナー

・富島 寛 氏
Xアカウント [@TommyTomishima]
山田進太郎D&I財団 元評議員/元メルカリ共同創業者

・石塚 亮 氏
Linkedin[https://www.linkedin.com/in/ryonations
元メルカリ共同創業者/エンジェル投資家


対談内容

※記事の内容は2021年10月時点のものです。

ゲスト紹介

手嶋:XTech Venturesの手嶋です。

今日はメルカリの共同創業者のお2人をお呼びして、いろいろ面白い話を聞いていこうかなと。
メルカリ共同創業者の富島 寛さん(トミー)と、石塚 亮さんの2人に来てもらっています。

私と2人の関係でいくと、私は2018年までユナイテッドという会社で働いていたので、そこでメルカリの創業から半年くらいのときに投資させていただいて、横から並走しながらメルカリの成長を見させていただきましたという感じの仲です。

では早速ですけど、トミーから自己紹介をお願いします。

富島:富島です。僕は、メルカリを始める前も会社をやってたりしていました。僕自身はメルカリを2年くらい前に辞めて、今はメルカリのCEOの山田進太郎が財団をつくったので、それの立ち上げを一緒にやっています。

手嶋:今日はよろしくお願いします。次は亮、お願いします。

石塚:石塚亮です。よろしくお願いします。
自分は、生まれは日本なんですが、中・高・大学とアメリカにいて、その後アメリカで「RockYou」という会社を始めて、その会社が日本に進出したので、日本に行ってという流れです。

そのときに、日本のスタートアップの人たちにいろいろと交流させてもらっていてRockYouの後に、メルカリをトミーと進太郎さんと一緒に始めて、メルカリにおいては、主にメルカリの海外進出、アメリカ進出を担当していました。

自分はメルカリを2019年に辞めて、今はアメリカのシアトルというところにいて、主にアメリカと、あと日本も数社スタートアップに投資をしたり、アドバイスなどをやっています。

「憧れの気持ちがあった」富島さんがメルカリを共同創業した理由

手嶋:まず2人ともある種、メルカリ創業時点でシリアルアントレプレナーみたいな感じだったと思います。要するに、進太郎さんも含めて3人ともシリアルアントレプレナーが集まってつくられた会社という認識なんですが、どんな感じの流れで一緒にやることになったかをさらっと。

富島:僕と進太郎さんの関係はその前の会社をやっていたときにパーティーとかで知り合って、それからは花火に誘ってもらったり、バーベキューをしたりとか、そういう関係性だったんです。

その後、2012年の忘年会で進太郎さんが世界一周から帰ってきて、久しぶりに再会しました。忘年会で話してて「またそろそろ会社をやろうと思ってる」みたいな話を聞いて、僕もそのときフリーで、そろそろ自分も何か会社をやりたいなと思っていた頃だったんです。

そこで「ちょっと興味あるんですけど」という話をして、そこから会社設立の方向に向かっていくという感じです。

手嶋:じゃあ半分プライベートで付き合いがある中で、進太郎さんと会社を創業するということに興味があり、少し自分から意思表示したという感じなんですか?

富島:そもそも当時でいうと、けっこう憧れの先輩みたいな感じで思っていたんですよね。Zyngaに会社を売却したというのも、当時でいうとかなりのビッグニュースでしたし。そういうアメリカの普段TechCrunchとかで見ているような憧れの目を持っているところに、近くの人がそんなところに?という驚きもあって、憧れていたというところはありますかね。

Zyngaの競合にいた石塚さんがメルカリ共同創業するまでの流れ

手嶋:じゃあ亮はどんな流れ?

石塚:そうですね。自分は元々トミーとはメルカリの前は知り合いじゃなくて、ただ進太郎さんとは知り合いで、アメリカでRockYouをやっていたときに彼と知り合ったんです。

その後、自分が日本に渡ってきて同じ業界だったので、彼ともいろいろと交流がありました。ただ、彼はZyngaに会社を売却したじゃないですか。RockYouはアメリカにおいて彼らとライバル会社なんです。

手嶋:そうですよね。Facebook用のソーシャルゲームの会社。

石塚:そうそう。当時バリバリ競合で、本国のほうがそんな感じだったので、自然とお互い疎遠になっていました。

手嶋:連絡しにくいみたいな、なんか聞いちゃうとまずいし、みたいな。

石塚:そうそう(笑)。しばらくそんな連絡を取ってなかったときがあったんですけど、RockYouのほうが自分は一区切りついたので、日本ももういいからアメリカに戻ってまた会社をやろうかなとかって考えていました。

もう日本やめちゃうから進太郎さんにも連絡取っておこうか、というような感じで「アメリカに戻ろうと思います。これまでお世話になりました」的なメッセージを送ったんです。

そうしたら10分後くらいにFacebookにメッセージが来て、「明日会おうよ」みたいな話になりました。今思えば後々の人たらしの片鱗を見たような感じなんですけど。それで次の日会うことになって、「これからどうするの?」みたいな話をして、アメリカに行こうと思っていると伝えました。

そうしたら、進太郎さんのほうから「今メルカリというのをやろうと思っていて、もしアメリカに行くつもりなんだったら、どうせなら一緒にメルカリをまず日本で始めて、メルカリが海外進出しようと思ってるから、そのときに亮がアメリカの責任者として行くようにすればいいじゃん。だから一緒にやろうよ」みたいな話になって。

そのときに「それは面白そうですね」みたいな話をして、「一緒にやろうとしている富島というのがいるから一緒にやってよ」と言われ、そのときにトミーと初めて会ったんですよね。そんな感じで、やりますかというような感じに。

手嶋:亮が声をかけられた頃は、登記直後くらいの感じ? 会社は一応あるくらいの。

石塚:登記はしてたね。たぶんそこから1ヶ月とかそれくらいかな。

手嶋:2012年の暮れにトミー、進太郎さんがそういう話をして、2013年の冬から春くらいにかけて亮が進太郎さんに、海外進出を目指して声をかけられた。だから、そのときから海外とかっていうのは真剣にもうDay1から考えてたってことだよね。

石塚:そうですね。初めから話はそういう感じになって。

初めは日本でやるけど、でも日本だけじゃなくて海外もやるつもりだから一緒にやろうよ、という話をしていましたね。

「ピンと来ていなかった」フリマアプリと聞いたときの2人の所感

手嶋:トミーと進太郎さんが話したときはもうフリマアプリというのは決まっていた?

富島:興味ありますと言って、最初にミーティングするときに「これをやろうと思ってるんだけど」みたいな感じで聞いたんです。

メッセンジャーでもらったのが紙ペラだったのか忘れましたけど、フリマアプリですと。
ヤフオクがあります、アメリカにはeBayがあって、Poshmarkというのもあります。

手嶋:Poshmarkはそのときあったんだ。

富島:書いてました。確か、ヤフオクとeBayとポッシュマークとフリル(現在のラクマ)。その他もあったかもしれないですけど。なんとなくこのくらいの数字なんじゃないか、みたいなのが載っていていました。

こういうのがいいと思ってるんだけど、みたいな感じで聞いたんです。自分もCtoCとかは興味ありましたが、自分はCtoCのレンタルサービスみたいなのがいいんじゃないかなとその前は思ってたんです。

なので、調べたりはしてたので「やろうと思ってる」と言われたときは、けっこう良いかもと思いましたね。

手嶋:そこに時間費やしたり、エネルギー費やすのはいいな、みたいな感覚ですね。

亮は、進太郎さんと一緒に仕事するというのは興味があったわけじゃないですか。それはあって、「フリマアプリなんだよね」って聞いたときはどう思ったんですか?

石塚:自分はまず進太郎さんから「一緒にやろうよ」という話の前に、「今こういうのやろうと思ってるんだよね」という話がありました。

それで「フリマアプリをやろうと思ってるんだよね」という話を聞いて、正直、「ああ、そうなんだ」くらいな感じだったんですけど(笑)。自分がそれに関わるという考えはまだその当時はなかったですし。

ただ、それを差し引いても、事業とかプロダクトとしてそれがいけそうなのかどうかというのでいうと、そこまでピンときてなかったです。

手嶋:そこから誘われて、じゃあ入るって決めるまでに、それって考え方が変わったのか、ちょっとフリマアプリに関してはやってみないとわからないけど、進太郎さんと創業できる機会だしやるかという感じなのか、どっちだったんですか? 

石塚:フリマアプリめちゃめちゃいいじゃんという考えではなかったですね、正直。

手嶋:このメンバーでやってみようみたいな?

石塚:そうそう、別にこのメンバーだったから。まずフリマアプリが駄目とは思ってなかったし。eBayとかヤフオクとか、当然それででっかいビジネスつくってたので、うまくいけばでっかいビジネスになるだろうなとは思っていました。

あと、このメンバーだったら、仮にそのフリマアプリのアイデアがうまくいかなくてもすぐにどうにかなるだろうとは思っていたので。

想定外の金額だった「株のシェア」に関するやり取り

手嶋:そういう意味だと、たまにメルカリのDay1の写真って出てくるじゃないですか、メディアに進太郎さんとトミーの写真が。

Day1って何をやってたんですか?

富島:Day1というか、2月1日が会社登記日ですけど、1月のたぶん1週目とかに最初のミーティングをしたんです。それでフリマアプリをやろうって思ってるって聞いたんですよ。

「いいですね」みたいな話をして、どういうふうなアプリをつくるかのUIとか企画とか考えて、みたいな感じでした。

それで、1月中にたぶん2回くらいミーティングして自分が考えて、持っていって「こういうのどう思いますか?」みたいな感じのやりとりが何回かあったという感じですね。

だから、2月1日はまだそれをやっている途中の企画中みたいな感じですかね。同時に、手伝ってくれるエンジニアの人とかも探していて、なんとなく手伝ってくれる人の目星はついてきたくらいのときだったと思います。ただ、フルタイムとかではないですけど。

手嶋:最初、副業的にこの人は関わってくれそうみたいな。

富島:そうですね。ただ、「一緒に僕やりたいです」という話をして、その後また1月中に企画のミーティングとかをしているときに、「自分もちょっと株持ってやりたいんですけど」みたいな話とかもしてて、2月1日になってくという感じなんです。

後で違う人に聞いたら、ちゃんと自分のリファレンスチェックじゃないけど、富島くんってどうなの?みたいな感じがけっこう回っちゃったり。それが、ちゃんと慎重に進めるというか、けっこう進太郎さんっぽいなとも思ったんですよね。

あんまりノリでエイヤみたいな感じじゃないというか。

手嶋:思慮深さがありますもんね。

富島:そうですね。本当に正しい決断をちゃんとしようとするという感じ。

手嶋:じゃあDay1のときにはトミーも亮も、もちろん共同創業者として、最初に株式分配を受けているんだけど、最初から決まっていたというより、すり合わせの中で決まっていったということですね。

富島:そうですね。自分はまず株の話とか最初してないです。

手嶋:いきなりは話しにくい部分もありますもんね。

富島:そうですね。

どういう立場なんだろうというのが、最初はそこらへんってけっこう曖昧だったりするじゃないですか、会社も始まってないし。

なので、2人で歩いているときに、「自分も株持ってやりたいんですけど」みたいな感じで言って、「うん、じゃあちょっと考えておく」みたいな感じで言われたんですよ。それで連絡が来たのかな。次のミーティングのときとかで、「じゃあこの株シェアでお願いします」みたいな。「このくらいの金額になります」みたいな感じで言われて。それが自分の持ってる貯金より多くて(笑)。

手嶋:どうしたの?(笑)

富島:で、進太郎さんにお金借りたんですね。
「これちょっと僕はお金が少し足りないんですけど」みたいな感じで言って、そしたら、「え?」みたいな感じで(笑)。

手嶋:あれだよね、シリアル、起業家だよね?みたいな感じになった(笑)。

富島:そんなお金ないの?みたいな感じで、じゃあちょっと貸すよって貸していただきました。

手嶋:今日のこの回は、起業家の人と共同創業する人の役に立つといいなと思っているので、今のやりとりとかはなまなましくて参考になるかもしれないですね。

富島:そこからずっと最初の1年目とかなので、当然給料安いじゃないですか。でもその中で、毎月か3カ月に1回かな、2年くらいかけてちゃんとお金を返していくんですが、けっこうきつかったですね。

手嶋:進太郎さんとしてもおそらく元起業家というのはあるし、リスペクトした提案を最初にしてくれたのかなと振り返ると思いますね。それはすごいと思います。

亮は、そこは入社と同時に条件面とか、そういうのはアメリカ式というとあれだけど、最初から単刀直入に聞いていったの?

石塚:そうですね。最初に話したとき、一番最初に話した日には条件面とかは特に何も話さずに、ただ一緒にやりましょうということだけ合意しました。

それで、とりあえず一緒に働きはじめて。その後にじゃあどういう条件にしますかというのを話し合いはじめたという感じですね。

手嶋:お互い半分プライベートとか緩い仕事つながりで信頼関係はあったけど、実際一緒に仕事しはじめて感触を得ながら決まっていったという感じなんですね。

フリマアプリが良い事業になると感じた瞬間

手嶋:フリマアプリはちょっとやってみなきゃわからないなというところからスタートして、進太郎さんも最初からどこまで確信があったのかというのはちょっとわからないんだけど、とはいえ、どこかで、あれ?おや?と思うわけじゃないですか。

これ、すごい数字出るなとか思いはじめるとか。最初はうんともすんともいかないとか、どこかのタイミングで山が動きはじめた瞬間とか。

ちょうど決算が出ていて、ほぼヤフオクと同じくらいのGMVにメルカリJPもすでに現時点でもなってると思うんだけど、そこの規模になるというところまでは予測最初からできないと思います。

ただ少なくとも黒字化は目指せるんじゃないかとか、一定の事業規模にはなりそうだなとかって思った瞬間とかってありましたか?これはそこそこの事業にはなるんじゃない?みたいな。

石塚:自分の中ではたぶん最初の年の終わりのほうですかね。リリースして4、5ヶ月くらいしたときなのかな。そのときとかはけっこう資金調達もしてたので、広告もいろいろお金をかけることができていました。

広告をかけた分、ユーザーが入ってきて、そのユーザーもちゃんとお金を使ってくれているというのが見て取れていたので。

なので、広告かければかけるほどユーザーはどんどん集まってきて、ちゃんとアプリも使ってちゃんとエンゲージしてくれているというのを見て取れたときくらいですかね。それがたぶんリリースから4、5カ月くらいのとき。これだったらどんどんアクセル踏んでいきゃいけるんじゃないのかなと思っていましたね。

手嶋:当時僕も深く関わってたので、そこらへん突っ込ませてもらうと、3億円ユナイテッドから調達して、確か毎月4、5,000万くらい広告に突っ込んだんだよね。半年くらいでなくなっちゃいます、くらいのペースで突っ込んで。正直初月から悪くなかったじゃない、数字でいくと。

4、5,000万円突っ込んでみたら、跳ね返ってきたという感じがあって。でも、やっぱりこれはいけるというところまでは4、5ヶ月経たないとわからなかったじゃん。初月からはやっぱ思わなかった?

石塚:そうですね。実際ユーザーがどれだけ長期的に使ってくれるのかというので見ないとやっぱわからないじゃないですか。

最初の1週間とか1ヶ月とかは使ってくれるかもしれないけど、でもじゃあそれが2ヶ月、3ヶ月してもちゃんと残ってくれるのかといったところがわからないと、長期的にどうなのかはわからないけど、メルカリの場合はユーザーさんがずっと残ってくれているわけですよね。

手嶋:3、4ヶ月くらい残ってくれていると、これはあるんじゃないか、みたいな。トミーは?

富島:これはいけると思ったのはちょっと難しいですけど、広告を入れはじめて、本当の最初の最初のリリースのときはけっこうすごいしょぼい数字だったというか。え?みたいな、全然ダウンロードされてないと思いました。

手嶋:逆にいうと、そのエピソード、俺が関わる前だから、たまに見るんだけど、不思議なのは、普通サービスインってそんなものじゃん?

富島:でもそれでなんで思ったかというと、僕の場合はですけど、その前の年とかに自分のプロジェクトとして、カメラアプリとかをリリースしてたりしてて、けっこうノンプロモーションでもダウンロードされるというところがあったので。

その数字とかと比較すると、え?みたいな。

手嶋:あのサイドプロジェクトのカメラアプリより?みたいな?

富島:あのカメラアプリより?って。しかも憧れの進太郎さんとやってるわけですよ。初速からドカンといくと思ってるじゃないですか。

手嶋:要するに界隈の人もダウンロードしてくれるだろうし。

富島:でもそこは、一応最初の最初はステルスというか、あんまり言ってなかったので。ですけど、期待値はけっこうあって。当然、進太郎さんとかは抜きにしても。自分たちとしてはそれなりに価値のあるものを作っていると思うので、それなりにダウンロードされるかなと思ってたんです。

けれどもリテンションうんぬん以前にダウンロードされないやんけ、みたいな。で、けっこう焦りましたよね。

手嶋:確かに当時はスマホアプリがいっぱいダウンロードされる時期だから、カメラアプリみたいな遊びで使えるものは、けっこう出しときゃダウンロードされたりしましたもんね。

富島:そうですね、Google Playストアとかの新着からもけっこう流入して。

一方、当然フリマアプリということでダウンロードしてくれるお客さんというのは、当時はほぼいないわけで。検索してる人もいないからASOとかも最初からめちゃめちゃ頑張ってたんですけど、あんまり効果なく本当に最初の最初は苦戦しましたよね。

手嶋:ASOというのは、聞いてくださっている方のためにいうと、アプリの検索最適化ですよね。アプリストアの検索でどう引っかけるかということですけど、そういうのをしこしこ頑張っていたけど、全然ダウンロードが増えないと。

富島:全然ダウンロードが増えない。なんやかんやあって、広告とかを始めて最初の頃にけっこうお客さんが増えてきて、サーバが落ちはじめるんです。8月末とか9月くらいだっけな。

手嶋:本当に毎月4、5,000万みたいな、踏みはじめた初月みたいな。

富島:そうです。結果論として、サーバが落ちたのもしょうがなかったとは思うんですけど、当時の判断が間違っていたとは思わないですが、ただそこらへんもサーバが落ちるってけっこう駄目なことなんです。お客さんにも迷惑かけてるので。

けっこううれしい悲鳴みたいなところもあるじゃないですか。もちろん本当にスケーリングして落ちてたりするわけじゃないのでレベル感としては低いんですけど、まあなかなかサーバって落ちないですよね。

だから、めちゃくちゃ苦しかったんです。なかなか短期的な解決策もなくて、夜になったら毎日毎日サーバが落ちるみたいな感じだったので。

手嶋:しかも広告は亮がどんどん踏んでくしね(笑)。

富島:そうそう(笑)。一応いろいろな最適化とかしながら、騙し騙し結構落ちないようにしてはまた落ちて、みたいなのを繰り返していていました。そこらへんのときに広告の力が大きいとはいえ、けっこういい感じかもなと思っていました。

手嶋:それくらい熱狂的に使われてるということだもんね。

テレビCMのインパクトと小泉さんのジョイン

手嶋:最近の決算で、まあ今もメルカリの現場で頑張ってくれている人は、ヤフオクを別に目標にしてないと思うんですけど、当時はすごいジャイアントのヤフオクにいたというのに並んでいるわけですよね。ほぼ最近の決算のGMVでいくと。

GMV数千億になるんじゃないかみたいな。これはとてつもない事業になるぞと感じた瞬間って、その先で何かあります?そこから先は積み上げていったという感じですか?

石塚:なんだろうな。特にこれってタイミングはないかな。トミーどう?

富島:僕はやっぱり、2年目のCMは大きかったと思います。あそこでちょっとメジャーデビューじゃないけど。今までは熱狂的に使ってくれるお客さんがいるとはいえ、普通知らないよねという感じだったので。

曲がりなりにもテレビCMを打って、けっこう認知度が増えて、数字を見てもかなり良さげであると。本当のところの数字はなかなかテレビCMの場合わからないけど、良さげでありました。そういう数字面からもそうだし、実感としても周りの人けっこう知ってるかもみたいな。

周りといっても、かなりインターネット業界の近しい中ですけど、そこでちょっとメジャーデビュー感は少しあったかなと感じていたので、明らかに角度は変わったなと。角度と、その後に取れる戦略がもしテレビCMがあのときうまくいかなかったらどうなっていたんだろうというのは思いますが、全然違った結末だったと思うんです。

あとは、その年の10月に手数料を取りはじめるんです。それまでキャンペーンで販売手数料を無料にしていたので、そこもけっこう大きな決断だったんですけど。ここらへんは完全にお客さまに迷惑をかけた仕様のミスだったんですけど、10月1日以前に出品してくれた方は、手数料を無料にするという仕様だったんです。

手嶋:2014年の10月1日ですね。

富島:そうですね。なので9月いっぱいまで出品してくれた方は手数料無料という、当時はそういう仕様だったんです。

といっても自分としてはそんなに大きなイベントが起こるとも思っていなかったんですよ。
すると9月30日の夜くらいに、普通に美容室で髪切ってたら電話かかってきて、「ちょっとやばいです」みたいな(笑)。

手嶋:何があったの?

富島:「めちゃめちゃ出品されてます」みたいな。

手嶋:要するに駆け込み出品ね。

富島:「駆け込み出品めちゃめちゃされてます」って。アプリ見たら、もうなんか、当時はトップ画面が新着順だったんですよ、完全に。なので、どのくらい出品されてるかというのが身を持って体験できるんですけど、もうあまりに高速に(笑)。

手嶋:スワイプすると全然違うのがバンバン出てくる。

富島:すぐどっか行っちゃうみたいな。だから、ちょっと失敗と成功は紙一重じゃないですけど、その仕様が良かったかどうかは置いておいて、これはちょっとすごいぞってそのときはさらに思いました。少なくとも需要があるというか、熱狂してくれているという感じはあったので。

手嶋:いつから課金するかってずっと議論してたもんね。で、やっぱり2回目のCMをやる直前に、やっぱ取らないとキャッシュ的にもきついよね、みたいな感じだったよね。

だから延ばせるんだったらもっと延ばしたかったけど、ここで取らざるを得ないな、みたいなのでエイヤ!でやったら。まあでも、9月30日の夜は大変だったと思うけど、ほぼ影響なかったもんね。

富島:そうですね。最初、手数料を取るという提案は進太郎さんが持ってきたと思うんですけど、びっくりはしましたよね。

手嶋:ああ、ここで取るか、みたいな?

富島:まあ当然いつかはやらなきゃいけないんですけど。ある意味では、そんなに考えないようにしてたというか、グロースのほうばっかりに注目してて。

今このタイミングでそれを考えて提案してくるんだというか、最悪失敗した場合はもう1回手数料無料にすればいいよねという議論もあり、始めたという感じです。まあ本当にそれを無料に戻すことが解決策なのかどうかはわからないですけど(笑)。

手嶋:いや、難しいでしょうね。

富島:一応議論としては、そういう議論はあったはありましたけどね。なので、お客さんには関係ない話ですけど、事業的にいえばその賭けにもなったという。

手嶋:僕もそこは共感ですね。最初のCMって僕は正直、日本のここ5〜10年くらいのインターネットサービスのCMの中で歴史的に一番効果あったCMだと思うんですよ。テラスハウスのメンバーが出てたメルカリの最初のCMです。

俺はそれくらい効果あったから、あれ見たときにこれはもうかなりいくなと思いましたね。

当事者じゃなくて並走して見させてもらってたけど、やっぱ最初のCMの結果を見たときにこれはいくなと思ったね。それくらいの結果は出ていましたよね。

富島:当然プロダクトとかサービスの強さというのもありつつ、ここはちょっと検証的に難しいところですがやっぱりあのテレビCM、あそこは手嶋さんにもかなり関わっていただいて、あと小泉さんもそうですけど。

テラスハウスの企画でやってという、そういうクリエイティブの面でも本当に大成功だったんじゃないかなという気がしますよね。それでいうとやっぱり小泉さんが入ってきたのも大きかったです。

手嶋:それあるけど、小泉さんは入ってくれるかもと聞いたのっていつ頃?

富島:小泉さんが入ってきたのは、たぶん2013年11月とか12月の頭とかそのくらいだと思うんです。

手嶋:俺もユナイテッドとして投資して1、2カ月後くらいに「小泉さんとか来てくれるといいんですけどね」とか言ってて。当時の感覚としては、「来てくれるのかな?」みたいな、ちょっとふわっとした話として聞いてましたね。

富島:僕も最初はそう思ってましたよ。だから小泉さんと最初話した後、進太郎さんに「どうだった?」みたいな話で言われるじゃないですか。

「入ってくれたらめちゃめちゃいいと思うんですけど、本当にやる気あるんですかね」という感じで、けっこう「ええ?」みたいな。

そこらへんはある意味では、自分で会社とかサービスのことをそこまで評価できてなかったのかもしれないですけど、小泉さんが入って、しかも本気で働いてくれるの?という。

手嶋:当時いくつかのスタートアップに関わってましたもんね。

富島:そうなんですよ。それもあって、メインでやってくれるの?みたいな。

手嶋:それは俺も最初思ったかな、聞いたときに。亮も同じような感じでしょう? 

石塚:そうですね。でも入る前にそういった他の監査役とか、取締役とか、もうほぼ全部やめる、メルカリだけにするって聞いて、「おおマジか」という感じでしたね。

手嶋:そういう意味だと2013年の11月に小泉さんが入って、2人の役割もけっこう変わったんじゃない?

富島:僕はそんなに変わってないですね。

手嶋:プロダクトマネジャーみたいな感じだったもんね。

石塚:一番変わったのは俺ですよね。

手嶋:何から何に変わったの?

石塚:基本的にはそれまで自分が当時は、プロダクト以外ほぼ全てをやっていたという感覚だったんですが、それを全部小泉さんにお願いして、マーケティングとかHRとかバックオフィスとか、そういったことも全部よろしくと彼に丸投げして、自分はアメリカに行ったという感じです。

手嶋:アメリカ進出のプランニングに専念できたという。

石塚:そうそう。それも小泉さんを入れようというのが強い理由の一つでしたよね。

手嶋:俺も2013年の夏にコウゾウ(当時のメルカリ)に投資するというので検討したとき、亮のことをCFOだと思ってたもん。なんか進太郎さんが連れてきたCFOの人かなあと思いながら。

石塚:役割的にはそうでしたからね。

手嶋:後から、得意分野は全然違う人という。

富島:バックグラウンドはエンジニアだからね(笑)。

石塚:そうそう(笑)。

手嶋:俺、当時「いや、なんかこのエクセルちょっと違うと思うんですけど」とかって俺が言っちゃって、進太郎さんがちょっとドキッとして「これ後で直しといて」とかって亮に言って、あれ?とかって思いながらやってましたね。

まあでも小泉さんがあのタイミングで入ったというのが、そういう感じだと相当でかいよね。

富島:そうですね。あとは当時、小泉さんがちょうど入ってくれたときは、それこそ広告も踏んでって、お客さん伸びて、サーバはけっこう安定してたときだったんです。

ただ一方で問い合わせがものすごくて。これは本当にお客さんに迷惑かけてしまった話なんですけど、そこらへんが最初けっこうあんまりシステム化もしてないし、人の配置とかも含めて全然できてなくて、全てが後手後手だったんです。

あまりに後手後手でお客さんに迷惑かけているので、一旦広告打つのもやめて機能開発もカスタマーサポート用の機能開発をするという優先順位の付け替えをやったときがあって、めちゃめちゃカオスだったんです。

毎日朝来るとお問い合わせが鬼のようにあって、こなしきれなくて、精神的にもちょっとつらいな、みたいな。そこらへん、小泉さんはミクシィのときにそれなりに土地勘があり、やっている仲間もいて、そこらへんの中長期的な目線も含めての立て直しというのは小泉さんが入ってきてからやってくれて、かなりそこでカオス期から抜けていった、みたいなところはあると思っています。

手嶋:整えていってくれたみたいな。

富島:そうですね。まあカスタマーサポートのところは、代表的にわかりやすいところで。それ以外のところも含めて、会社になっていったという感じだと思っています。

メルカリの躍進を支えたミッション、バリュー策定の舞台裏

手嶋:ミッションとバリューも、俺は当然投資家だからプロセスには関わっていないんだけど。ある日急に、「いや、実は昨日合宿行ってきて、ミッションとバリュー決めたんですよ」という報告をメッセンジャーか何かで進太郎さんがしてくれたんだ。

「あ、そうなんだ」みたいな感じだったんだけど。当時は重要度がわかってなかったから、今メルカリにそういうの決める必要あるんだ、くらいに捉えちゃってたんですけど、あれって誰がどういう形で言い出したの?

石塚:言い出したのは小泉さんです。

彼が言うには、「メルカリは今すごい伸びてていい感じになってるけど、でもまだ会社として組織として完全に成り立っていない」と。

ミッションとかバリューとか、そういうものはおそらくその当時もうすでに、「メルカリはこういうことを大事にする会社です」とか「こういう会社にしたいよね」っていうのを漠然とみんなが共有はしていたとは思うんですけど、でもそれが明文化はされていなかった。

「ファウンダーとかその周りの人とかと一緒に仕事をしているから、お互いコミュニケーションが取れているから、共通認識ができているけど、これからどんどん人が増えるにあたってそういうことができなくなるから、今この場でやったほうが、そういった企業文化をつくるのであれば、そういったミッション、バリューをちゃんと今このタイミングで明文化させたほうがいい。

mixiで失敗したと思うことの一つが、それをやらなかったことによって、プロダクトの力が弱くなったときにみんなを会社に結びつけることができなくなった。だからメルカリは今のうちにやっておこう」というような話を小泉さんとし、それで俺とトミーと小泉さんと進太郎さんとで泊まり込んで決めました。

手嶋:今思うと恐るべき生産性の高い会議だよね。

富島:そうですね。僕もでも正直手嶋さんと一緒であまりよくわかってなかったです。「今やる必要あるのかな?」くらいの。まあ大事なんだろうけど、くらいの感じでした。

手嶋:やっぱり進太郎さんにしても、小泉さんにしても、他の人が思いはじめる半年とか1年早く決断をして、今思うと適切なタイミングでやってるっていうことがけっこう多かったよね。

CMのタイミングもそうだと思うし、手数料取るタイミングも。俺はちょっと考えてもなかったけど、みたいな。でも、後から振り返ると、あそこでやっておいて良かったというのはそうとう多いなという感覚はありますね。

進太郎さんの経営者としての変化

手嶋:前半戦の最後の質問で、進太郎さんってめちゃくちゃ進化していったと思うんだけど、一緒に働いていく中で、どういうふうに見ていました?

進太郎さんの経営者としての進化。それとも、まあ変わったところと変わっていないところがあると思うんだけど、そこらへんって近くで働いていて、亮とかどう見てた?

石塚:まずパッと思いつくのは、マネジメントスタイルはすごい変わりましたね。一番最初は本当によく細かいところまでできるなってびっくりするくらい思うほど、マイクロマネジメントをしていました。

メルカリは初期の頃から全てのタスクをタスク管理システムで全社共有できるようにしていて、開発のタスクだけじゃなくて開発系以外のタスクも誰がどんなタスクをやっているのか、そのタスクの状況がどんな感じなのかというのを全部わかるようにしていました。

例えばマーケティングとかリーガルとか、そういったものも全部管理システムでやっていたんです。けど、進太郎さんは全てに目を通していて、それぞれのコメントについて何か気になることがあったら即座にコメントをしたりとかしていました。そこの情報処理量がすごいやばいなと思ったのが、進太郎さんについて思った最初の印象ですね。

すごいマイクロマネジメントをしている人だったんですけど、会社の規模が大きくなるにつれて、それじゃあ回りきれないというふうに思ったんでしょうね。そこからすごい権限移譲するというのを推し進めていって。

本人的にも権限移譲しなきゃいけないというのを意識してやっていただろうし会社的にも、進太郎さんだけじゃなくて、マネジャーとか、役員とか、そういったレベルの人も、どんどん抱えているタスクを権限移譲していって、もっとタスクフリーになれと。そういうように役員とかにも常に言うようになっていって、マネジメントスタイルが変わっていったなというのが印象的です。

手嶋:それって変わったのって大体いつくらいなんですか?

石塚:明確に変わったなと思ったのは2015年の末とか、2016年とかですかね。執行役員も何人かいるときとか。アメリカのほうも、日本のほうも社員数が相当いたし。

手嶋:トミーはなんかある? それ以外のポイントで。

富島:ちょっとそれ以外じゃない話になっちゃいますけど、マイクロマネジメントみたいなところでいうと、それがけっこう進太郎さんの結構良さだと思ってはいます。

ただ、当然嫌がる人もいるとは思うんですけど。

手嶋:トミーは嫌じゃなかったの? プロダクトの責任者だったから、一番言われたんじゃない?

富島:そうですね。僕はでも、まあむかつくときもありましたよ、当然それは(笑)。

全部を当然説明で書いてるわけでもないし、とか思ったりして、なんでそんなこと突っ込んでくるのと思ったこともあるはあるんですけど。

でも、逆って難しいと思うんですよね。全部を気になってチェックしていた人がなくすことはできるかもしれないけど、元々気になってない人は気にもできないから。それはやっぱりすごいいいことだなと思ってるし、そこらへんのこだわりが進太郎さんの強みだとは思ってて。

僕も2015年くらいから、かなりアメリカに力を入れはじめて、そういう意味だと進太郎さんともコミュニケーションを取って、一緒にやっているけど、オンラインの時間とかも増えたりして少しずつ自分も距離は遠くなっていったところはあるんです。

2015年くらいはまだ近くて、2016年とかになるとけっこう遠くなってきた、みたいな。小泉さんとかに関しては、もはやオンラインでたまに経営会議とかで話すだけ、くらいな感じに距離感はなっていったので。途中から、全体としての進太郎さんをあんまり捉えていないかもしれない。

ちょっとひょっとしたら後で何か思い出すかもしれないです(笑)。

石塚:たぶん毎クオーターごとに役員同士がお互いそれぞれの評価とかをやっていて、それで評価する以外にも、お互い改善すべきはどういったところがある?みたいな話もするんですけど、おそらく2015年とか2016年当時は、多くの役員が進太郎さんに対して、そういった「今やっているマイクロマネジメント的なやり方は続けられないんじゃないの。もっと権限移譲しないと駄目なんじゃないの」というような話はしていたと思うんです。そのときから本人自身も意識していたんじゃないかなと。

手嶋:ありがとうございます。じゃあここで前半戦は終わりにして、後半戦は主にアメリカの話と、今何をお2人はやっているの?みたいな話を聞ければなと思っています。

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